第16回 代名詞の話
今回は、代名詞のお話です。代名詞を訳す上での問題点は、第1に英語では代名詞を多用するが、日本語では直接使うことは少ないことです。第2に、それに伴って、代名詞が何を指すのかをはっきりさせなければならないことです。
人称代名詞
まずコレポンなどの書簡文では、一人称と二人称は、謙譲文と尊敬文で表せますので、訳に出さない場合が多くなります。
例文1
For your information, we enclose copies of our letters addressed to our agents.
「御参考までに、▼代理店宛の▼手紙の写しを▼同封します。」
複数形では、相手方との関係に応じてweは「弊社」「当社」「我社」、youは「御社」「貴社」などと訳すのが普通です。もちろん企業以外の団体の場合は、「当所」「貴行」などとなります。「当方」「貴方」という言い方もあります。三人称については、最初に具体的に書いた後で、単数は「同氏」「同君」「同人」、複数は「同社」などと訳すのが適切です。所有代名詞の場合も、your country「貴国」、our letter「弊信」など同様に扱います。
例文2
We are very glad to know that you are interested in our products.
「御社が弊社の製品に興味をお持ちくださっていると知って、▼大変うれしく思います。」
不特定多数を対象とする文章では、youは「皆さん」「皆様」、顧客や見込み客相手では「お客様」などと訳します。
例文3
This is a legal agreement between you, the end user, and DigiTec Co.. By opening the sealed disk package, you are agreed to be bound by the terms of this agreement.
「本契約書は、お客様とDigiTec社の間で締結される法的な契約書です。パッケージを開封されることによって、お客様は本契約書の条項に拘束されることを承諾されたものとします。」
論文などやや硬いものでは、youを「読者」、Iやweを「筆者(ら)」「著者(ら)」などと訳します。この種の文献では、英語でも代名詞ではなく役割を表す名詞、the author、the writer、the readerなどを使って自分や相手を三人称で客観的に表現するのがむしろ普通です。さらに具体的に、コンピュータのアプリケーション・ソフトのマニュアルではyouを「ユーザ」と訳し、特許明細書では、I を「本発明者」the inventor、「本出願人」the applicantで表します。
例文4
In the following presentation, the reader will in general easily distinguish what comes from Morgan and what I have added.
「以下の提示中で、読者はモルガンに由来する所と私が付け加えた点をたいていは容易に区別できるであろう。」
指示代名詞
it, theyおよび代名詞のthis、that、these、thoseはそのまま訳すとしっくりしないので、元の名詞を補って「この~」「それらの~」と訳した方がよいことが多いです。
なお、theも含めてit、that、thoseなど、直訳すると「それ」系になる語は、「これ」系で訳した方が指示関係がはっきり出せることがよくあります。
例文5
Each pipeline stage may contain a separate instruction and the stages are connected in an ordered manner.
「各パイプライン・ステージは別々の命令を含むことができ、これらのステージは順序正しく接続されている。」
例文6
Chain length (molecular weight) is important because it determines many properties of a plastic, and it also affects its processing characteristics.
「鎖の長さ(分子量)は、▼プラスチックの多数の性質を決定し、▼またその加工特性に影響を与えるので、重要である。」
この文では、二つのitはchain lengthを表しますが、主文の主語と共通なので、主語を「は」で受ければ訳す必要はなくなります。あとのitsはplasticを指しますが、この場合は「プラスチック」と訳さなくても「その」で明らかです。
例文7
Electropneumatic transducers: These have long been used to provide regulated air pressures for the control of process systems.
「電空変換器:この変換器は、プロセス・システムの制御用の調節された空気圧をもたらすために以前から使用されてきた。」
例文7A
The present invention relates to novel aerogels, to a process for producing them, and to their use.
「本発明は、新規なエアロゲル、その製造方法、およびその使用法に関する。」
these, thoseなどの複数形は、複数を表す語が別にある場合など複数形で訳す必要のない場合は単数で訳せば十分です。それでなくても「これらの」「それらの」は 落ち着きが悪いので、「こうした」「そうした」とよく訳します。
名詞の反復を避けるため、one、that、thoseを使うことがあります。この場合は元の名詞に戻して訳さなければなりません。ただし、場合によっては「もの」で済ませることもできます。
例文8
A polymer made from two different monomers is called a copolymer; one made from three different monomers is called a terpolymer.
「2種類の異なるモノマーからできたポリマーをコポリマーと呼び、3種類の異なるモノマーからできたポリマー(もの)をターポリマーと呼ぶ。」
例文9
If speed change with load must be minimized, a regulator, such as one employing feedback from a tachometer, must be used.
「負荷に伴う速度の変化を最小限に抑えなければならない場合、タコメータからのフィードバックを使用する調速器などの調速器を使用しなければならない。」
例文10
U.S. Forces will support Self-Defense Forces operations and conduct operations, including those which may involve the use of strike power, to supplement the capabilities of the Self-Defense Forces.
「米軍は、自衛隊の行う作戦を支援するとともに、打撃力の使用を伴うような作戦を含め、自衛隊の能力を補完するための作戦を実施する。」
the sameは、特別な用法として、修飾語句をも含む前出の名詞を表します。単複両用で「それ」または「それら」と訳します。
例文11
Optical radiation is normally transmitted over a multimode fiber optic bundle which requires couplers for the same.
「光学的放射線は、通常多重モード光ファイバ束を介して伝送され、それ(この光ファイバ束)用のカップラが必要である。」
例文12
The disclosure is directed to optical fiber waveguiding structures, and techniques for fabricating the same.
「この開示は、光ファイバ導波構造、およびその製作技法を対象とする。」
指示形容詞
the、thisの強調形としてthe instant、the present、the subjectがときに使われます。これは一般に「本」で訳すことができます。theを訳す場合も含めて、この種の日本語表現をいくつか挙げておきますと、
「本」は本来は文書全体を通して同じものを指す場合に限るべきだと思います。本書 本論文 本契約書 本発明 本発明者 本明細書 本(出)願 本出願人
ただし、特定の章節で頻用され「この」ではくどすぎる場合は使ってもよいと思います。
「当」はものではなく範囲、場所を表す語に適しています。 the art 当技術分野 the industry 当業界 当市
「同」も前出のものを指すのに使いますが、乱用は避け、直前に出てきた具体的なものを指す場合に限って使うのがよいと思います。特定の書物(同書)、機械なら特定のメーカの特定のモデル(同機)など。ただし、三人称に同の字が使われることから見ると、話の主題とは別のものを指すのに適しているようです。
特許明細書のクレームでは、前出のものであることをはっきりさせるために、従来はtheの代わりにsaidが使われ、「前記」「上記」「該」などと訳されています。
前に関係構文のところでも述べましたが、that、thoseは先行詞など修飾の対象語を明示する働きをします。関係節の他に、前置詞で始まる連体句も受けます。もちろんtheを使ってもよいのですが、後ろの修飾語句がここにかかるのだと強調する、言い換えればずっと後ろに修飾語句があると予告するのに使われます。
例文13
from that portion of said gate extension below said sidewalls
これは次のように訳すことができます。原文の複雑さに応じて、訳文があいまいにならないような形を選びます。誤解の恐れがない場合は、簡単な形で訳せます。最後の形はやや冗長ですが、こうした形で訳さないと意味が明確にならないこともあります。
「前記ゲート延長部の、前記側壁の下にある▼部分から」
「前記ゲート延長部のうち(の)前記側壁の下にある▼部分から」
「前記ゲート延長部の部分であって、前記側壁の下にある▼部分から」
例文14
Japan will provide rear area support to those U.S. Forces that are conducting operations for the purpose of achieving the objectives of the U.S.-Japan Security Treaty.
「日本は、日米安全保障条約の目的の達成のため活動する▼米軍に対し、後方地域支援を行う。」
例文15
to fabricate the wedges with air gaps between those portions of their internal layers of material that correspond to the tapered portions of the wedge.
「内部材料層の、楔のテーパ形部分に対応する▼部分の間に空気間隙を設けて、楔を製作する」
例文16
The control signals instruct those memories that do not use a particular sequence of inputs to ignore such signals.
「制御信号は、特定の入力シーケンスを使用しない▼メモリに、かかる信号を無視するよう指令する。」
suchは前出の形容詞句の代りをする代形容詞、so は同じく代副詞と解釈すると、文意がよく理解できます。
suchは普通「そのような」と訳すのですが、類似の意味でないことをはっきりさせたい場合は、「そうした」と訳します。もちろん「これ」系で「このような」「こうした」と訳すことも可能です。soは「そのように」「このように」となります。硬い文章では、「かかる」「かく」という文語形を使うこともできます。
例文17
The alliance reflects such common values as respect for freedom, democracy, and human rights, and serves as a political basis for wide-ranging bilateral cooperation, including efforts to build a more stable international security environment. The success of such efforts benefits all in the region.
「この(日米)同盟関係は、自由、民主主義および人権の尊重等の共通の価値観を反映するとともに、より安定した国際的な安全保障環境の構築のための努力をはじめとする広範な日米間の協力の政治的な基礎となっている。このような努力が成果を上げることは、この地域のすべての者の利益となる。」
例文18
The admission of any such state to membership in the Nations will be effected by a decision of the General Assembly upon the recommendation of the Security Council.
「前記の国が国際連合加盟国となることの承認は、安全保障理事会の勧告に基いて、総会の決定によって行われる。」
例文19
Although a POP (Power operational amplifier) may be rated to dissipate 90 W continuously, it cannot do so unless properly mounted on a heat sink.
「電力演算増幅器は連続定格電力90Wとすることができるが、ヒート・シンクに適正に取り付けない限り、それだけの電力を消費することはできない。」
硬い文章では、whereinと同様、herein, thereafterなどhere, thereの後に前置詞が付いた形がよく使われます。これはドイツ語のhierin, danachなどと同じで、それぞれ前置詞にthis, these; that, thoseが付いたものと同じ意味です。単複両用であることに注意してください。here~は文書自体を指し、先ほどの「本~」に相当します。there~の方はその都度指すものが変わります。
例文20
Regardless of the reason for termination, LICENSEE shall not be relieved of its obligations of confidentiality with respect to any Licensed Product licensed hereunder, and any proprietary trade secrets embodied therein.
「契約終了の理由の如何に関わらず、実施権者は本契約の下で許諾されたライセンス製品、およびそのライセンス製品に具体化された知的所有権に関わる業務上の秘密に関する守秘義務を解除されないものとする。」