第2回 受身の話
受身文と名詞構文の多用が、英文の科学技術文献の二大特徴であるといわれています。その他にも、関係文や不定詞、so that構文など、前から訳すかそれとも後ろから訳すか、一文を訳す際に方針を決めなければならない構文が沢山あります。本講座では、まずこのような各種構文について、どのような訳し方があり、どのように方針を選択すればよいかについてお話しします。その最初に、今回は、受身および関連する問題について取り上げます。なお以下では、動詞の形をいう場合は「受動」の語を使用し、「受身」の語は広い意味で使うことにします。
英語の受動形の特徴
科学技術文献を始めとして硬い文章で受動形を多用するのは、実は英語だけでなく西欧各国語でよく見られることで、ラテン語の語法の影響と思われます。しかし英語では他の西欧語以上に受動形が頻繁に使われます。実は英文の受動形では、次のようなものが区別できます。
- 通常文でも受動形を使う本来の受身。
- 通常文なら能動形を使う科学技術文の受身。
この二つは他の西欧語でも同様ですが、その他に次のような場合もあるのです。
- 他の言語なら自動詞や再帰動詞を使うケース。
- 通常文ならtheyやoneを主語とする般称文。
能動形で訳す
論文や試験報告書で実験や試験の結果を報告する場合、英文では次のように受動形で書くのが普通です。受動形を使うのは、意味上の目的語に焦点を当てるためと、客観的な文章にするためです。
例文1
To a solution of 45 g of 3,4,5-trimethoxy-benzaldehyde in 1.2 L of IPA, there was added 125 g of nitropropane and 67.5 g of t-butyl-ammonium acetate and the reaction mixture was held at reflux for 16 h. This was poured into 6 L of H2O, and extracted with 2x250 mL of hexane.
これと同じ内容を日本語で書くときは、必ず能動形で書きます。受動形で書く人はまずいません。したがって訳す場合も必ず能動形で訳します。
「3,4,5 -トリメトキシベンズアルデヒド45gをIPA 1.2 Lに溶かした溶液にニトロプロパン125gと酢酸t -ブチルアンモニウム67.5gを加え、反応混合物を16時間還流した。これを水6 L中に注ぎ、250mlのヘキサンで2回抽出した。」
例文2
The optical constants for silicon and silicon dioxide were entered into a computer model and the transmission of the filter was calculated as a function of the thickness of the air gap.
「ケイ素および二酸化ケイ素の光学定数をコンピュータ・モデルに入力し、フィルタの透過率を空気ギャップの厚さの関数として算出した。」
受動形で訳す
受動形で訳すべき場合ももちろん沢山あります。
意味上の主語が筆者またはそれに準ずる人ではない場合は、受動形で訳すしかありません。
例文3
These products are sold under a variety of brand names of which the two most well known are Enerpac and GB Electrical.
「これらの製品は、様々なブランド名で販売されており、そのうちもっとも有名なもの2つはEnerpacとGB Electricalである。」
例文4
In some machines the arguments are fetched from main memory and the result is returned to main memory.
「機種によっては、引数が主メモリから取り出され、結果が主メモリに戻される。」
実際には、能動形で訳しても受動形で訳してもよい場合も沢山あります。どちらの形で訳すかの判断基準ですが、筆者やオペレータの行為・意図による場合は、能動形で訳すことができます。結果が状況まかせの場合など、意図的でない本来の受身は、受動形で訳すべきです。また、一連の動作として記述してある場合は能動形で、状態として述べている場合は受動形で訳すのが適切です。
自動詞形で訳す
日本語なら「驚く」「特徴とする」など自動詞形を使えるのに、英語には相当する自動詞がなくbe astonished、be characterizedなど他動詞の受動形で表現しなければならない語があります。こうした語は当然自動詞形で訳すことができます。なお言語によってはこれは再帰動詞の形で表わせます。ドイツ語のsichや北欧語の-s、ロシア語の-сяがそうです。
例文5
When an electrostatic potential is applied between these electrodes and the bridge, a force is generated between the electrodes and the bridge which draws the bridge closer to the substrate.
「これらの電極とブリッジの間に静電電位が印加されると、電極とブリッジの間に力が発生し、それによってブリッジが基板に引き寄せられる。」
なお、which draws以下の部分は、話の流れを滑らかにするため、受動形で訳してあります。
例文6
Tools & Supplies is engaged in the design, manufacture and distribution of tools and supplies to the production automation markets.
「ツールズ&サプライズ社は、工具および消耗品の設計と製造、ならびに生産自動化市場への配給に従事している。」
determineは、byの後にくる名詞が行為者や道具でない次のような文では自動詞形で訳します。
例文7
The ratio of intensities of the output signals is determined by the phase difference between the two signals entering the coupler 150.
「出力信号の強度比は、カップラ150に入る2つの信号の位相差によって決まる。」
般称文
通常文ならtheyやoneが主語になる場合です。ロシア語など主語が不可欠でない言語では、これを主語なしの三人称複数などで表します。日本語では受動形で表すのが普通です。
例文8
Spectrometers are used in scientific instruments for many important measurements including chemical analysis by optical absorption and emission line characterization.
「分光計は、光学吸収および輝線の同定による化学分析を含めて、科学技術用計器中で多数の重要な測定に使用されている。」
ただし、意味上の主語がI、weの場合も同じ形になるので、注意が必要です。般称文か否かの判断は、話の流れによります。たとえば、is believed は、筆者Iの判断である場合は「と考えられる」、世間一般の考えである場合は「と考えられている」と区別して訳すことができます。
例文9
"Particles" in Saturn's rings range from dust to the size of houses, but Jupiter's ring is believed to be composed entirely of dust particles.
「土星の輪の「粒子」は塵から家屋大のものまであるが、木星の輪はもっぱら塵粒子から構成されると考えられている。」
無生物主語
無生物が主語の他動詞文で、そのまま訳すと日本語として不自然になる場合、よく受身の形に訳されています。使役動詞やenable、permitなどそれに準ずる動詞が使われている場合は特にそうです。
例文10
This procedure enables the values of capacitors 18 and 20 always to be changed in the correct direction in the determination of the trajectory.
「この手順により、飛翔経路を決定する際に、コンデンサ18および20の値を常に正しい方向に変化させることが可能となる。」
この場合、元の主語を「によって」で表すのが普通ですが、「では」「には」など他の表現を使うとうまくいくこともあります。
例文11
This method of using a non-ITO pixel electrode simplifies the process of fabricating a Si active matrix array.
「非ITOピクセル電極を使用するこの方法では、 Si 能動マトリックス・アレイを製造する工程が簡単になる。」
さらに、元の主語の助詞を変えるだけで、動詞は能動形のままで訳せることもあります。
例文12
If the proposed corporate action creates dissenters' rights, the notice must state that shareholders and beneficial shareholders are entitled to assert dissenters' rights.
「提案されている会社の行為が反対株主の権利を生み出す場合、通知には、株主および受益株主が反対株主の権利を主張する権限を有することを明記しなければならない。」
別法として、文末に「ものである」などを付け加えると状態文になるので不自然さが解消されます。
例文13
This invention relates to semiconductor processing.
「本発明は、半導体加工に関する(ものである)。」
haveを「~には~がある」と訳すのも受身の形に訳すのと類似の操作ですが、「有する」と能動形で訳した方が締まった文章になります。
includeもいつも受動形に訳す人がいますが、実はincludeには主に二つの用法があります。一つは構成要素を示すもので、能動形で「~を含む」と訳すだけで十分です。もう一つはある範疇に属するものを列挙する用法で、この場合は必ず「~には~が含まれる」などと受身の形で訳すべきです。後者の例を次に挙げておきます。
例文14
Some of the more common solvents include water, various alcohols, acetone, hydrohalic acids, and n-methyl-2-pyrrolidone.
「より一般的な溶媒としては、水、各種のアルコール類、アセトン、ハロゲン化水素酸、n-メチル-2-ピロリドンがある。」
someを訳に出すなら、次のように言うことができます。
「より一般的な溶媒をいくつか挙げると、水、各種のアルコール類、アセトン、ハロゲン化水素酸、n-メチル-2-ピロリドンがある。」
また、状態ではなく行為としてとらえたい場合は「を含める」と使役形で訳すと効果があります。
例文15
The notice of each special shareholder meeting shall include a description of the purpose or purposes for which the meeting is called.
「各臨時株主総会の通知には、総会が招集される目的の記載を含めるものとする。」
訳し方の工夫
行為者を示すbyは、「によって」以外の訳し方もできます。「の手で」「から」「に」「で」
supplied by から供給される
detected byで検出される
受身の動詞は、「れる」「られる」以外の形でも訳せます。「に遭う」「を受ける」この動作名詞と形式動詞による表現は迂言的受動表現と呼ばれています。
influenced by の影響を受ける
「してある」の形は疑似受動文と呼ばれており、「されている」に対応するものです。筆者の意図によることを示す効果がありますが、文の調子が崩れるので乱用は避けるべきです。
例文16
The secondary port placement is also depicted.
「二次ポートの配置も示してある。」
極めつけのテクニックは、受動形を使役形で訳すもので、要所で使うと非常に効果があります。
例文17
biofilters in which the biomass is attached to a support.
普通は「バイオマスが支持体に結合されているバイオフィルタ」と訳すところですが、
「バイオマスを支持体に結合させたバイオフィルタ」とすると、訳文が引き締まります。もちろん意図的な行為の場合に限ります。
他にも個々のケースに応じた訳し方があります。なお、一般に、テクニックを乱用すると訳文の品格が落ちるので、どうしても必要な場合だけにとどめておくのが賢明です。
例文18
Resolving power theoretically is limited to diffraction values of one half the wavelength of the microwave radiation. For a frequency of 2.45 GHz this would mean a theoretical minimum resolution of about 6 cm in air and 7 mm in water.
「解像力は、理論的にはマイクロ波放射の半波長の回折値がその限度となる。すなわち、2.45 GHzの周波数では、理論最小解像度が空気中で6 cm、水中で7 mmとなる。」
意味上の受身
英語にも受動態を使わずに受身の意味を表す表現がいくつかあります。undergo、be subject to は普通「受ける」と訳します。
例文19
recurrent pendant groups undergo efficient acidolysis to produce products that are very different in polarity than their precursors.
「反復するペンダント基が、効率的に酸分解を受けて、その前駆体とは極性が非常に異なる生成物を生成する。」
例文20
A highly sensitive MR sensor is not subject to shorting, wear and corrosion at the head surface.
「高感度MRセンサは、ヘッド表面において短絡、磨耗、腐食を受けない。」
例文21
Binder matrix is subject to a tendency to creep during thermal cycling.
「バインダ基材は熱サイクル処理中にクリープを起こす傾向がある。」
be subjectedは能動形で訳すと「に~を施す、を~にかける」となります。
例文22
Tocopherol is subjected to molecular distillation or steam distillation after esterification of the free acids with polyhydric alcohols.
「遊離の酸を多価アルコールでエステル化した後、トコフェロールを分子蒸留または水蒸気蒸留にかける。」
例文23
The liquid crystal material is subjected to electric fields set up between the transistors and the thin film transistor and the cover glass transparent electrode.
「液晶材料は、薄膜トランジスタとカバー・ガラスの透明電極の間に発生した電界にさらされる。」
suffer from、experience は「被害を受ける」「経験する」という意味ですが、訳語には出さないことが多いです。
例文24
This approach suffers from a difficulty that ~
「この手法には~という1つの難点がある。」
find use(application) inは「に使用(適用)される」と訳せます。
occurやtake placeは、普通は「発生する」「生ずる」「起こる」と訳しますが、動作名詞が主語の場合は「行われる」と訳せます。能動形に変えて訳すと「行う」になります。
例文25
The sample is fed into a heated chamber where NMR measurement takes place.
「サンプルを加熱チャンバに送り、そこでNMR測定を行う。」
例文26
The sample is then introduced into the sample measuring chamber where the NMR measurement will occur.
「次いでサンプルをサンプル測定チャンバに導入し、そこでNMR測定を行う。」
実際の翻訳に当たっては、このような訳し方もあると頭に入れた上で、個々のケースについて自分の感覚を鋭敏にしてどの形式を採用すべきか判断すべきです。具体的に二つ(以上)の訳文を作って、比べてみるのが一番です。