世界の言語
*本ページはイカロス出版のムック『第2外国語にチャレンジ!!2000』に掲載されたものです。無断転載禁。
世界の言語
世界には数千種(たとえば SIL によれば 6500 種)の言語があるといわれ、言語の分類法には、系統的分類と類型的分類があります。ここでは世界の主な言語について系統別にお話ししますが、まず類型的分類についてみておきます。
類型論的分類では、膠着語、孤立語、屈折語、抱合語が区別されます。膠着語は、動詞の後に助動詞、名詞の後に助詞を次々に付加していくもので、日本語や朝鮮語がこれに含まれます。孤立語は、単語の機能がその位置関係によって決まるもので、古代中国語(漢文)がその代表です。屈折語は、動詞や名詞が活用によって様々な機能を表すもので、ラテン語やアラビア語がこれに属します。抱合語は、主語や目的語などを表す諸要素が動詞に付着して一語文を形成するもので、アイヌ語や多くのアメリカ・インディアン語があります。この分類法は形式的なもので系統論に比べて面白くなかったのですが、機械翻訳が現実のものになってきた現在、特に語順による分類は、実用的にも重要になってきました。
日本語の語順は、主語-目的語-動詞(S-O-V)で、名詞の後に後置詞(N-p)である助詞を使用し、形容詞は名詞の前(A-N)に来ます。韓国語や、モンゴル語、トルコ語などのアルタイ諸語、ウラル語の大部分、それに世間には余り知られていませんが、ヒンディー語、ベンガル語などのアーリア系諸語を含めたインドのほとんどの言葉がこの語順です。
これの変形で、形容詞と名詞の順序だけが逆(N-A)のものが、ビルマ語、チベット語の仲間です。
これと対照的なのが、フランス語などのロマンス語で、動詞が目的語の前(S-V-O)に来、名詞の前に前置詞(p-N)を使用し、形容詞は名詞を後から修飾(N-A)します。つまり日本語と語順がほぼ逆になります。ロマンス語の他に、ベトナム語、タイ語、インドネシア語など東南アジアの多くの言葉がこの語順を取ります。
これの変形で、形容詞と名詞の順序が逆(A-N)のものも、英語、ドイツ語などのゲルマン諸語、ロシア語などのスラブ諸語、それに中国語と、有力なものが多数あります。
さらに徹底しているのが、アラビア語で、動詞が最初に来て(V-S-O)となります。おまけにアラビア文字などのセム系文字は右から左へ書くので、その下に日本語の単語訳を付ければそのまま日本語訳ができることになります。アフリカのベルベル諸語やマサイ語、ケルト諸語や、サモア語などのポリネシア諸語もこの語順です。
(V-O-S)の語順を取るものには、マダガスカルのマラガシュ語、メラネシアのフィージー語、メキシコのオトミ語があります。
類型や語順は系統によってほぼ一定していますが、固定したものではありません。インド・アーリア諸語はドラヴィダ語の影響を強く受け、語順もSOV型になり、多くの現代語では助詞まで後置詞を使っています。エチオピアのアムハラ語などは先住のクシ語の影響を受け、語順もVSO型からSOV型に変わりました。ウラル語は本来SOV型ですが、ハンガリー語、フィンランド語は周りの印欧語の影響でSVO型に変わりました。
このほか実用的に重要なのは、言語の属する文化圏です。漢字文化圏に属する日本や韓国、ベトナムでは大量の漢語を取り入れており、かっては公式文書は漢文でした。
イスラム諸国では、アラビア文字を使用し(トルコ、インドネシア、スワヒリ、ウズベクなど近年ローマ字やキリル=ロシア文字を採用したところも多い)、大量のアラビア語を(東方ではペルシア語も)取り入れています。従ってアラビア語を知っていればそれらの言語の学習は非常に楽になるわけです。タンザニアの首都ダルエスサラームは、アラビア語で Dār asSalām 平安の家と言う意味です。
インドや東南アジアには仏教、ヒンドゥー教が広まり、大量のサンスクリット語が取り入れられています。地名や人名もサンスクリット語由来のものが沢山あります。タイ南部の町ナコンシータマラットは、サンスクリット語 Nagara Śrī Darma Rāja またはそのパーリ語形で吉祥法王の都と言う意味です。文字も、今では形こそバラバラですが、同じ系統から出たもので、文字の並べ方は同じです。実はアイウエオも梵字の並べ方を採用したものです。遣唐使時代の留学僧がサンスクリット語の知識を学び応用したものでしょう。上座部仏教(小乗仏教)はスリランカが本山で、十一世紀以来ビルマに根付き、タイ、カンボジア、ラオスにも広まっていきました。これら諸国では寺院でパーリ語が学ばれています。
西欧におけるギリシャ語、ラテン語の影響についてはご存じでしょう。キリル文字(いわゆるロシア文字)やコプト文字はギリシャ文字を元にして作られました。西欧語で「の」を表す前置詞 de、von、of が「から」の意味をも表すのは、ギリシャ語で属格が奪格を兼ねていたからです。
セルビア語はキリル文字を使用し、ギリシア正教徒のセルビア人、モンテネグロ(ツルナゴーラ)人とイスラム教徒のボスニア人が話し、クロアチア語はローマ字を使用し、カトリック教徒のクロアチア人が話していますが、全く同じ言語です。元々は同じ民族が、異なる外国の支配を受け、異なる宗教を信奉したために分かれたのです。
ここでは、地域と系統分類を組み合わせて、世界を10の地域に分けてお話しすることにします。
北アジア
まずアジア大陸の北の端から。シベリアの言語で他のグループと関係が認められないものは、旧シベリア諸語と総称されており、これには、チュコト・カムチャツカ(ルオラヴェトラン)語族、ユカギル語、ケット(イェニセイ・オスチャク)語があります。サケマスの漁獲やトナカイの狩猟遊牧を生業としてきた民族です。前者には、チュクチ半島、カムチャツカ半島のチュクチ語、コリャク語、イテルメン語があり、後二者も数百年前にはいくつかの姉妹語があり、今よりずっと広い地域に分布していました。広義にはサハリンのギリヤーク語とアイヌ語もこのグループに含まれます。どちらも抱合語ですが、語順は日本語と変わらないので、いい教科書さえあれば近づきやすいものです。アイヌ語は御存知のユーカラなど豊かな口承文学を残し、文字こそ使わなかったが、標準化された口頭文語が成立していました。萱野茂さんは参議院でアイヌ語で演説されましたが、これは近代語として発展できる可能性をも示すものです。
その南には、いわゆるアルタイ語族(65語)が分布しています。ツングース語派(12語)(17万人)のうちエベンキ語(3万人)は姉妹語のエベン語と共にイェニセイ河からオホーツク海まで広い範囲に分布し、中国の鄂温克(ソロン)語もその方言です。他のツングース語はアムール河の下流から河口部に分布しており、そのうちオルチャ(ウルチ)人はかって蝦夷錦などオホーツク海貿易で羽振りを利かせていた山丹人の後裔です。金朝(1115-1234)を建てた女真ジュルチン人と清朝(1616-1912)を建てた満州人もツングースの一派です。女真語は満州語とよく似ており、また漢字をまねて作った女真文字は、金が滅んで二百年以上も経った十五世紀半ばまで使われていました。満洲語は、蒙古文字を改良した満洲文字で書かれ、文学こそ見るべきものはありませんが、多数の漢籍を翻訳すると共に大清帝国の公用語として大量の公文書を残しています。尤も満族が文才に欠けているというわけではなく、紅楼夢の作者曹雪芹や近代文学の先駆者老舎など中国文学で活躍した人は沢山います。現在も満洲語を話す人は新彊に移住した錫伯シボ族1万人(9万人)以外には東北(マンチュリア)地方辺境の古老だけですが、近年中国の民族政策の手直しに伴って満族を名乗る人が激増(1978年の265万人から1990年には982万人)する中で、満洲語の学習研究の気運が高まっています。文法は簡単で、文字もモンゴル文字に比べるとずっと楽です。徳野さんが北九州中国書店から満洲語の教科書、文法書、読本の訳本を出され日本語で容易に学べるようになりました。愛親覚羅烏羅熈春著 徳野伊勅訳 北九州中国書店 1988年刊 満語読本(入門書)満語語法(文法書)満族古神話(対訳)
モンゴル語(13語)(65万人)については、モンゴル共和国の外モンゴル=ハルハ語(600万人)と内蒙古の蒙古語は、発音の一部が ch → ts 変わっているくらいで外来語以外はほとんど同じですが、外モンゴルでは五十年前にキリル = ロシア文字を採用したため、今モンゴル文字復活に苦労しています。モンゴル文字は、内蒙古ではずっと使っていますが、日本語で言えば濁点なしの旧仮名遣いのようなもので、昔の発音通りに書く上に、清濁を区別しない子音字や最大4種の母音を同じ文字で書く母音字があるため、一語づつ綴りを覚えなければ書けません。発音も母音の区別が難しそうですが、文法は日本人にとって簡単です。モンゴル人の祖先は、鮮卑、室韋と考えられ、遼朝(916-1125)を建てた契丹もその同族です。チンギスハン以前の本拠地はモンゴリアではなくその東境興安嶺の周囲でした。モンゴル語派のうちで、遠くボルガ河口のカルムイク語(15万人)は、新彊のオイラート語と同じで、モンゴル語との違いは僅かです。ブリヤート語(42万人)もよく似ていますが、人称変化するようになりました。他にも中国甘粛省青海省などで土谷渾トヨクコンの後裔と目される土族(チャガン・モングオル)語(17万人)などやや違いの大きい古い言葉がいくつか話されており、マンチュリアのダウール語(10万人)も古い特徴を持つため契丹の末裔と見なされたこともあります。大興安嶺東麓は植物地理学でダフリアと呼ばれますが、これはダウール人に因んだもので、ダフリアカラマツなど有名です。
アルタイ語族にはもう一つチュルク語派があります。歴史学や言語学では小アジアのトルコ共和国と区別するため中央アジアなどに広がるその仲間全体をチュルク(テュルク)と言っています。先祖は西モンゴリアのアルタイ地方に住んでいましたが、大部分は西に移動しイスラム教徒となったので、西アジアのところで扱います。ただし、故地の近くには、トゥヴァ人(18万人)、ハカス人、アルタイ人などが住み、北の東シベリアにはヤクート(サハ)人(35万人)が住んでいます。遊牧民のヤクート人がシベリアに進出できたのは、馬にサケマスを食べさせるようになったからです。
東アジア
朝鮮語=韓国語(7400万人)と日本語(1.3億人)は、形の上ではアルタイ語族と同様に扱って差し支えないと思います。朝鮮は中国に隣接しているため、その影響が日本よりもずっと大きく、官僚文人は漢字漢文を常用していました。江戸時代に代替わり毎に朝鮮から通信使が来ると、日本の文人達は競って使節団との交際を求めました。この時代でも朝鮮は漢文化の先生だったのです。その代わり朝鮮語による文学文化の発達は遅れました。その遅れを取り戻すべく十五世紀に創造されたハングル(諺文)は音韻の分析に基づく科学的なものですが、これはチベット文字を改良した元代のパスパ文字にヒントを得て、母音字母と子音字母を組み合わせて音節文字を作るその構成原理を採用し文字と発音を関連づけたものです。どうしてと思われるでしょうが、その百年近く前まで朝鮮はモンゴルの属国になっており、高麗王朝の太子は人質として元の宮廷に滞在し、かつ代々モンゴル王族の女性を妃とし、モンゴル名まで持ち、モンゴル宮廷文化を熟知していたのです。平田篤胤ら江戸時代の国学者達が漢字到来以前から日本には文字があったと主張した神代文字の一つ「日文ヒフミ」はハングルの剽窃です。日本語には借用語以外に朝鮮語およびその前身の新羅語に似た単語は少ないとされていますが、高句麗語の僅かに残った数詞が日本語と類似しているそうです。高句麗はかってマンチュリアで強勢を誇った扶余の別派とされており、百済の王室もそれと同祖なので、日本語は今はなき扶余語派の生き残りかも知れませんね。日本語の唯一の姉妹語が沖縄語です。その特徴は基本母音がアイウの3つで、エ行はイ行に、オ行はウ行になります。またキが口蓋音化してチになります。したがって、オキナワはウチナーになります。動詞の活用は、日本語とは別の形から発達したもので、対応していません。十四~六世紀に日本、中国、東南アジアの間の中継貿易に活躍しました。
中国語、特に普通語(9.3億人)は世界の五人に一人がこれを話している最大の言語です。古典語である漢文については学校で習っているし、現代語についてもいろいろな学習の機会があるので興味のある方はその特徴をよくご存じでしょう。中国語は声調言語、すなわち一音節毎に高低アクセントがあるので、四声を叩き込まないとものにはなりません。ただし、中国語の専門文献を読むだけでよい場合は、基本的な構文と表現を覚えれば、後は漢文と専門用語の知識だけで何とか読めます。もっとも、同じ語が動詞にも名詞にも使われるので、複雑な文章では中国人でもよく構文解析を間違っていますが。昔の中国語は子音語尾がm、n、ng、p、t、kの六種類ありました。普通語には、そのうちnとngしか残っていませんが、南方の諸方言にはもっと残っており、広東語では完備しています。中国語の歴史では、音韻史が面白く、カール・グレン以来古音の復元が進められ、漢代以前から現在までの音韻の変化が個々の漢字についてもほぼ記述できるようになりました。大きく変化したのは、五六世紀の南北朝時代と金元時代で、いずれも北中国に北方の遊牧民が大挙侵入した時代です。方言の話をしますと、官話(マンダリン)と呼ばれる北方方言は、中国語の話者人口の八割以上を占め、東北地方から、新彊、四川にまで及ぶ広い地域に分布し比較的類似しています。北方官話は河北省から東北地方に広がり、西北官話は陜西省から甘粛、新彊に広がり、西南官話は湖北省から四川、雲南に広がり、下淮官話は南京付近で話されています。一方、南方には、上海、蘇州を中心とする呉語(6500万人)、福建省の廈門を中心とする閔語(5000万人)、広東を中心とする粤語(6500万人)があり、それぞれ数千万人の話者人口を擁し、台湾、香港、シンガポールでも話されています。いずれも北方方言よりは古い形を残しています。なかでも客家(3400万人)は、福建省と広東省の省境付近の山中を中心に各地に広がり、四世紀初の動乱以降に何度かにわたって中原から避難してきたと伝えていますが、漢民族の正統な後継者と自認し、鄧小平やリークァンユー(李光耀)など政治家や軍人になる人も多く、最近注目されています。中国語は、シナ・チベット語族の一派と認められており、漢字とチベット語の数詞の古い形を比べてもよく似ています。歴史的にも、周が羌族と深い関係を持っていたことは太公望伝説などでよく知られています。
シナ・チベット語族(360語)のうちチベット・ビルマ語派(345語)(6200万人)は、中国西南部、チベットからインドシナ半島西部、ヒマラヤ東部南麓にかけて分布しています。この語派の主なグループを北から挙げていくと、まず湖北、湖南、四川の省境に土家語(300万人)が話されています。他の同族と離れて東北に突出したこの土家族は、紀元前四世紀末に秦に滅ぼされた巴国の後裔と目されています。次に四川省西北部に羌語等の小語群があります。タングート(ミニャク)人は北の寧夏省に移って西夏を建て、西夏文字を残しましたが、その故地に残ったものと目されている木雅ムヤ語も最近発見されました。陜西省西部、甘粛省南部からこの四川省西部に及ぶ地域は古代羌族の地でした。漢代にその一首領が朝廷に献じた歌「白狼王歌」の漢字表記と漢訳が残っており、ロロ語に近いそうです。次に雲南省には、ロロ(彝)語(700万人)のグループ(43語)があります。ロロ族は雲南省および四川省と貴州省の隣接地区で漢族を除く最大の民族で、雲南にはハニ(120万人)、ラフ、リスなど親縁の諸民族も分布しています。七世紀に唐の後援を得て諸国を統一し南詔国を建てたのはかって言われたようにタイ族ではなくこのロロ族で、それに協力したパイ族(旧称民家)(120万人)がその後継の大理国を建てました。この国はやがて元の属国となり、明に滅ぼされました。この大理国は、滅亡まで朝鮮半島とよく似た運命を辿り、漢文化を基礎に民族文化を発展させてきただけに、民族国家として生き残ってもおかしくない地域でした。パイ族はロロ系とされていますが、古くから漢化が進んだ民族でした。ロロ語とナシ語には独自の象形文字があり、ロロ文字は最近整理されて、ロロ語文献の出版や教育にも使われています。これらの言語には、母音に緊張音と弛緩音の二系統の区別があります。
東南アジア
チベット人は昔から羌族の一派と見なされ、チベット語(500万人)は、七世紀に吐番建国と共に北インドの文字を参考にデヴァーナーガリーに似たチベット文字を考案し、チベット仏教(ラマ教)の本拠地として、仏教文献を中心に膨大な文献を伝えています。チベットの仏教は、九世紀吐番の滅亡時に壊滅状態に陥ったのですが、それ以前の文献が敦煌で発掘されています。面白いことにその歴史書中の吐番の天孫降臨神話は、後世の史書と一致しています。吐番だけでなく、元代に権勢を誇ったパスパらのサキャ教団や明代に強勢を誇ったパグモドゥ派などいずれも先祖が天から下ったとの伝承を持っています。チベット仏教は、ブータンなどのヒマラヤ南麓、カシミールのラダク、モンゴリアに広まり、小さいながらもチベット文化圏を形成しています。チベット人というと、西蔵自治区にだけ住んでいると思われがちですが、四川省西部の甘孜自治州はチベット東部とともにかって西康省を構成しカム方言を話すカム人が住み、甘粛省南部の黄河源流地帯の黄南自治州やその南の四川省西北部阿自治州にはアムド方言を話すアムド人が住み、青海省の大部分もチベット人の地です。チベット語は、語頭に複子音があり語末にも複子音が来るという昔の発音どおりに綴りますが、現代ラサ音ではそれが簡略されると共に声調が発生し、文字との関係はほぼ規則的ですが文字を読むのは慣れるまで大変です。ブータンやシッキムのジョンカ語、ボティア語(100万人)はチベット語(36語)の方言で、筆記体のウメ文字が使われています。
ビルマ西北部からバングラデシュ東北部とインドのアッサム州周辺を経てヒマラヤ南麓に至る地域には、チベット・ビルマ語派のボド・ナガ諸語が分布しています。近年アッサム州からナガランド州、マニプール州、トリプラ州、ミゾラム州、メガラヤ州が独立しました。このうちマニプール(インパール)のメイティ語が交易語として広く使われています。ネワール人(73万人)は、紀元前六世紀に建国したと伝え、十八世紀にインド・アーリア系のグルカ人 (ネパール人) に征服されるまで、長年にわたってネワール=ネパール王国の主人公でした。
ビルマ語(3100万人)は、ビルマ・ロロ語支としてロロ語などと比較的近いとされています。上ビルマには六世紀からチベット・ビルマ語派に属すると見なされるピュー族が国家を建て碑文を残していますが、ビルマ族がこの地に入ったのは比較的遅く十一世紀になって建国し、北のタイ系シャン人や下ビルマのモン人と覇権を争い続け、十八世紀になってやっと統一を達成しました。ビルマ南西部のアラカン(ヤカイン)人は十八世紀に併合されるまでずっと独立国家を形成していましたが、その言語はやや古風なビルマ語方言とされています。ビルマ文字はモン文字を受け継いだ南インド系統のもので、円を基礎とする丸い文字ですが、二種の声調符号を考案して三種の声調を表しています。ビルマ語は、形容詞が後置される点以外は日本語とよく似ており、終助詞が発達していることも我々には親しみやすいものです。ビルマ地域にはピュー時代から仏教が広まっていましたが、十一世紀にスリランカに留学僧を派遣して以来、上座部仏教(小乗仏教)が根付き、タイ、カンボジア、ラオスにも広まっていきました。そのため寺院ではパーリ語が学ばれ、その語彙が多数採り入れられています。ビルマ東部のカレン人(330万人)は、ビルマ・チベット語派のうちで独立のグループをなしていますが、早くから宣教師が入ってキリスト教に入信するものが多く、イギリス占領時代には多数派のビルマ人を抑えるための兵士や下級官吏に採用されました。独立後カレン人が最も強硬な反政府勢力として武力闘争を続けてきたのは、大英帝国お得意の分割統治の後遺症なのです。
タイ語族(68語)(6700万人)もインドはアッサム州から広西省よりさらに東北まで広く分布しています。中国の春秋戦国時代の越王勾践は浙江省紹興が本拠でしたが、当時の民謡の漢字表記と漢語訳が残っています。それによれば越人はタイ語に近い言葉を話していました。越の国を詳しくは烏越と言い、福建には閔越、広東からヴェトナムにかけては駱越と、古代の南中国は越人=タイ族の地でした。そしてインドシナにタイ族が進出するのはもっと後のことです。その間中国文化と接触してきたため、例えばタイ語の数詞は漢語そっくりです。今も中国には少数民族で最大の広西壮族自治区のチュワン族(1500万人)、それに近いプイ族(220万人)、海南島のリー族(86万人)、やや古い系統のカム(トン)族(200万人)、スイ族など多数のタイ族が住んでいます。皆昔から水田稲作民です。チュワン語には南北両方言があり、言語学的に北方言は中部タイ語、南方言はシャム語などと同じ南部タイ語に属し、ヴェトナムの儂(ヌン)語と近い関係にあります。十一世紀に今の中越国境地域で儂智高が南天国を建て同族の糾合を謀りましたが、両国の討伐を受けて長続きせず、結局このチュワン族は民族国家を形成することができませんでした。一般に民族によって、商業に秀でたもの、宗教に熱心なもの、軍事と支配が得意なもの、外国文化を採り入れるのが得意なものと、いろいろ特徴を持っていますが、南方に進出したタイ族は国家を建てる能力があり、インドシナ進出後様々な国を建てています。タイ(4900万人)ではまず北部のチェンマイ付近でいくつかの侯国を建て、その後スコータイ、次いでアユタヤに進出しました。チェンマイはその後も、時に中央に従属し、時にビルマに従属しながらも名目的には二十世紀まで王国として存続し、その地のユアン語はシャム語とは別の言葉として続いています。南下したシャム人は、それまで中部タイで栄えていたモン人の文化を吸収し、クメル帝国の後を受けて強国になりました。シャム文字はクメル文字に基づく角の丸まった四角い文字ですが、パーリ語音価の清濁と声調符号の組合せで声調を表す複雑な形で声調を表しています。ラオスは百象の国と呼ばれ、チェンマイと同じく開国伝説では南詔の王子を祖先としています。タイ東北部イサーンではラオ語(1600万人)が話されていますが、これは数世紀前にラオスから移住したものです。ビルマ東部のシャン人(300万人)は、傭兵としてビルマ王国に地歩を占め、十四世紀にはビルマ人に取って代わってアヴァ朝を建てました。ビルマ独立まで数十の藩王国に分かれていました。アッサムに進んでその地を征服したシャン系のアホーム人は十四世紀以来アホーム王国を形成していましたが、今ではインド・アーリア人に同化しアホーム語は宗教行事などに使われるだけだそうです。ただし、アッサムという地名はアホームの訛だと言われています。タイ系諸民族は総人口八千万人近く、互いにかなり通じるそうです。タイ諸語は典型的な単音節の声調言語で、語順はSVOのフランス語型です。
メオ・ヤオ語族(32語)(840万人)は、焼き畑農業を営む山の民で、湖南省の山地に住んでいたことが三苗の名で中国古典に見え、神犬盤瓠を祖先としています。山伝いに西南に広がって、十七世紀頃からヴェトナム、ラオスにも移住してきました。山の上で生活し、谷間で稲作を営むタイ族とは同じ地域内で水平に住み分けています。内戦時代のラオス右派軍の猛将として勇名を馳せたバンパオ将軍はこのメオ(フモン)族の人で、右派壊滅後部下数万人と米国に亡命しました。メオ語(600万人)は鼻音や流音に清濁の対立があります。オーストロアジア語族と関連づける説も出ています。
オーストロアジア語族(180語)(7500万人)、なかでもモン・クメル語派(156語)に属する諸民族は、往時はインドシナの主人公でした。クメル人(800万人)はカンボジアの他にヴェトナム南部のメコン・デルタや、ラオス南部、タイ東北部を版図としてアンコールワットで有名なクメル帝国を築き、モン人(タライン人、70万人)は下ビルマ、タイ中部に勢力を張っていました。そのペグー王国は断続しながらも十六世紀まで続きました。今では大部分のモン人はビルマ人と融合したものと思われます。この両民族は現在は大勢力ではありませんが、タイ、ビルマ文化の母体を提供しました。モン・クメル諸語は、他のインドシナ諸語のような声調言語ではなく、複音節語が多いので、発音の点では取っつきやすいものです。ただし、クメル語などは母音に緊張音と弛緩音の対立があり、文字からかなり離れた発音になっています。ヴェトナム、カンボジアの山地には多数の小言語がありますが、ラオス北部のラワ族などかってはかなり高い文化を持っていたのではないかと考えられています。最も西のカシ語はインドのメガラヤ州の公用語になっています。ベトナム語(6300万人)は、典型的な単音節の声調言語ですが、モン・クメル語派に入れられています。語尾が脱落して単音節になり、その代償として声調が発達したものです。現在はアクセント記号の沢山入ったローマ字を使っていますが、かっては民間で漢字を真似た字喃チュノムが使われていました。
インド東北部のムンダ語派(24語)(900万人)もこの語族に属します。主な言語はサンターリー語(500万人)とムンダーリー語(170万人)で、西ベンガル州、ビハール州、オリッサ州に跨るチョータ・ナグプール山地に分布しています。その多くは最近まで部族制度を維持し、アーリア系、ドラヴィダ系の少数語を話す諸部族と共に、ヒンドゥー社会からアウトカーストとして差別されてきました。ニコバル諸島のニコバル諸語も同じ語族です。
マレー半島から、海を越えてインドネシア、フィリピン、さらに太平洋の島々にはオーストロネシア(南島、マライ・ポリネシア)語族 (1236語)(2.2億人)が広がっています。台湾の高山族(23語)(40万人)、かっての高砂族、アミ語やアタヤル語もやや遠いがこの仲間です。マライ・ポリネシア諸語は、インドシナ諸語とは違って声調がなく複音節語や開音節が多くて発音は簡単です。文字もかってはインドネシアの一部でインド系文字やアラビア文字が使われていましたが、現在はすべてローマ字で近づきやすい言葉です。ただし接頭辞、接尾辞、さらには接中辞による派生語が多く、また言語によっては多数の小辞が使われます。単語が変化しない中国語のような孤立語で、語順はフランス語に似たマライ語のSVO型、VSO型を中心とするタガログ語など様々です。西のインドネシア(ヘスペロネシア)語派(672語)には、スマトラ島に由来しシュリーヴィジャヤ海上帝国以来通商語として発展したマライ語 = インドネシア語(1800万人, 1.5億人)、シャイレンドラ王朝からマジャパヒト朝を経て農業生産を基盤とする階級制度に基づき敬語を発達させたジャワ語(7600万人)の二大言語を始め、ジャワのスンダ語(2600万人)とマドゥラ語(1000万人)、スマトラでオランダ人に最後まで屈しなかったアチェ人のアチェ語(300万人)と母系社会で有名なミナンカバウ人のミナンカバウ語(600万人)、セレベスの海の傭兵ブギス人のブギス語(400万人)など有力なものが多数あります。二世紀から長く中部ベトナムに栄えた海洋国家チャンパのチャム人は現在ベトナムとカンボジアに二三十万人いますが、チャム語はアチェ語に近いそうです。またマダガスカルのマラガシュ語(1200万人)はボルネオ島のマアニャン語に近いとされています。フィリピン(166語)では、国語フィリピノ語の基礎となるタガログ語(1300万人, 4300万人)と、セブアノ語(1300万人)などのビサヤ諸語が有力ですが、いずれも態 mode を拡張して意味上の主語や目的語だけでなく場所や道具なども主語にする「焦点」表現が発達しています。
南アジア
インドはデカン半島の南部にはドラヴィダ語族(78語)に属する人々が2億人もいます。紀元前後からの文学伝統を持つタミル語(6800万人)を始め、アーンドラ州のテルグ語(7200万人)、カンナダ語(4300万人)、ケララ州のマラヤラム語(3500万人)がそれぞれ数千万人の話者人口を擁し、州の公用語として有力です。日本語と同じ語順で、互いに似ていますが、厄介なことに文字はそれぞれ異なります。遙か離れたパキスタンの西部カラート付近にはブラフイー語(80万人)があり、アラビア文字を使っています。その分布状況から、ドラヴィダ人は西から来たと想定され、インダス文明さらにはシュメル人との親縁関係を唱える説もあります。
インド亜大陸の他の地域には印欧語族インド語派(219語)が分布しています。その諸言語は、サンスクリットの昔からドラヴィダ語の影響を強く受け、語順も日本語型になり、多くの現代語では助詞まで後置詞を使っています。ヒンディー語(4億人)とウルドゥー語(1億人)は文法は全く同じですが、前者はデヴァーナーガリー文字を使ってサンスクリット系の語彙を使用し、後者はアラビア文字を使いアラビア・ペルシア語系の語彙を多用しています。ベンガル語(1.9億人)はデヴァーナーガリーとやや異なるベンガル文字を使用し、文法もヒンディー語と異なります。パンジャーブ語(8400万人)、マラータ語(6800万人)も有力です。ネパールのネパール語(1600万人)はデヴァーナーガリーを使っていますが、スリランカのシンハラ語(1300万人)は独自の文字があります。ネズミが何匹もいる可愛い文字です。
西アジア
その西のイラン、アフガニスタンは印欧語族イラン語派(81語)(8000万人)の地です。この語派はかってはスキタイ人、ソグド人など中央アジアにも広く分布していました。タジキスタン山中のヤグノービー語はソグド語の末裔と見なされています。数年前にテレビでソグド人の末裔が発見されたと大騒ぎしていましたが、学界では以前から知られていたことです。北コーカサスのオセット人は遊牧民スキタイ人、アラン人の末裔と目され、自称は「イロン(<イラン)」です。イラン語派の代表ペルシア語(3400万人)は、古代ペルシア語以来の伝統を持つと共に、かっては中央アジアやインドで公用語、文化語として広く使用され、膨大な文献を残しています。ペルシア語は、発音が易しく、アラビア文字を使う点以外は学びやすい言葉です。ロシア文字で表されるタジク語(500万人)や、アフガニスタンのダーリー語もペルシア語の変種です。他の有力な言語には、アフガン人のパシュト(プシュト)語(2500万人)や、クルド語(1300万人)、バルチ語(500万人)があります。いずれもイスラム教徒で、旧ソ連領内を除きアラビア文字を使っています。
チュルク諸語(40語)(1.1億人)は小アジアの他、中央アジアとその周囲に広がり、大部分がイスラム教を採用しています。古くは突蕨のルーン文字、アラム文字系のウイグル文字を使用し、西遷後はアラビア文字を使っていましたが、現在はトルコではローマ字、旧ソ連領内ではロシア文字を使用し、中国新彊のウイグル語だけがアラビア文字を改良して使っています。文法は人称変化がある他は日本語と同じですが、母音調和があり短母音が殆どなので、聞き取りは難しそうです。互いによく似ており、かなり通じるそうです。東部派にはウズベク語(1600万人)とウイグル語(800万人)があります。ウズベク語は先住民のイラン語の影響で母音調和がなくなってしまいました。南部派は、テュルクメン語(350万人)、アゼルバイジャン語(1500万人)、トルコ語(5800万人)です。テュルクメン人はアフガニスタンとイラン北部にも、アゼルバイジャン人はイラン西北部にも住んでいます。西部派には、カザフ語(800万人)、キルギズ語(200万人)、ノガイ語など北コーカサスの諸語、ボルガ中流のタタール語(800万人)、バシキール語(150万人)があります。タタール人はキプチャック金帳汗国の後裔です。その近くのチュヴァシ語(200万人)は、他のチュルク語からかなり以前に分かれたもので、ブルガリアへ移住せずに残ったブルガール人の後裔と目されています。東欧には、リトワニアにユダヤ教徒のカライム人、モルダビアにキリスト教ロシア正教徒のガガウズ人がいます。
コーカサス諸語の代表は、南コーカサス(カルトヴェリ)語族(5語)のグルジア語(400万人)です。子音に三系統があり、また能格をもつなど遙かピレネーのバスク語との類似が注目されています。五世紀頃からキリスト教を採り入れて文字をもち、長い文学の伝統があります。北コーカサス語族(34語)(350万人)には、西部のチェルケス(カバルダ、アディゲ)語(50万人)、アブハズ語(10万人)、中部のチェチェン語(86万人)、イングーシ語(20万人)、東部のアヴァール語(55万人)などがあります。アルメニア語(500万人)は単独で印欧語族アルメニア語派とされ、やはり五世紀頃から文字をもっています。古代にペルシアとの関係が深かったため、イラン語からの借用語が沢山あるそうです。かってはトルコ東南部の地中海岸にもキリキア王国を建てていました。紀元前十数世紀に小アジアにはヒッタイト語などのアナトリア語派がありました。紀元前六七世紀のリディア語、リキア語もその末裔と言われています。
北アフリカ
アラビア半島から北アフリカにかけてセム・ハム(アジア・アフリカ)語族(371語)(2.6億人)が広がっています。セム語派(73語)(1.9億人)は、古代文明発祥の地だけに、古代からアッカド(バビロニア・アッシリア)語、フェニキア語、ヘブライ語、アラム語とその後身のシリア語など多くの有力言語が輩出しました。シリア語は東方キリスト教の、ヘブライ語はユダヤ教の宗教用語として現在まで使用され、またヘブライ語(400万人)はイスラエルの国語として復興されました。紀元前六世紀古代ペルシア帝国が興ると共にそれまでのアッカド語に変わってアラム語が国際語となり、その後東ローマ帝国ではギリシア語と並んでシリア語が使用されました。イスラム教勃興後はアラビア語が広がり、現在は北アフリカの大西洋岸モーリタニアにまで達しています。アラビア語(2.1億人)はセム語の特徴をよく保持し、語幹の三子音に様々な母音が付いて派生形を作ります。おまけにアラビア文字では普通は母音を表記しないので、意味が分からないと読むこともできず、辞書を引くのも大変です。また中国語と並んで語彙の豊富な言葉で、辞書なしで読めるようになるには随分かかります。母音はa、i、uの三種ですが、他のセム語同様子音は発音の難しいものが沢山あり、また滑らかに発音するには繰り返し練習が必要です。従って最も難しい言葉の一つであると言えます。かってはエジプト方言が有力でしたが、最近は正則アラビア語と呼ばれるコーランの言語に基づく標準語が盛んになっています。南アラビアもシバの女王の話で象徴されるように貿易の拠点として古くから栄え、紀元前から対岸のエリトリア、エチオピアに渡って国を建てました。その後裔がセム語派のエチオピア諸語(12語)(2200万人)で、古典語であるゲエズ語の他、エチオピアの国語アムハラ語(1900万人)、エリトリアとエチオピア北部のティグリニャ語(400万人)などがあります。いずれも先住のクシ語の影響を大きく受け、語順もSOV型に変わりました。土着のキリスト教が盛んです。
セム・ハム語族には他に、エジプト語派、ベルベル語派、クシ語派、チャド語派があります。アラビア語の進出以前、エジプトでは古代エジプト語の末裔のコプト語が使われていました。ギリシア文字を改良した文字を使用し、十六世紀まで生きた言葉として話され、今もコプト派キリスト教会で儀式に用いられています。リビアからモロッコに至るマグレブ地方ではベルベル諸語(9語)(1000万人)が使用され、今もアトラス山地や砂漠地帯では使われています。そのうちタマシェク語は、サハラ砂漠の民トアレグ人の言葉で、古代リビア文字の血を引くティフィナグ文字が残っています。クシ語派(75語)(29万人)はアフリカの角ソマリアとエチオピアに分布しています。ソマリアはアフリカでは稀な単一民族の国で、ソマリア語(600万人)が国語です。エチオピアでも南部はクシ語派のガラ(オロモ)語(1700万人)が有力です。チャド語派(192語)(2900万人)の代表は遙か南のニジェール、ナイジェリアのハウサ語(3700万人)で、古くから文化の開けたハウサ商人の言語として周辺の国々にも広く普及しています。ハウサ人は古くからイスラム教を採用し、アラビア文字の文献を残しています。
ナイル河上流からサハラ砂漠南縁のニジェール河中流にかけてナイル・サハラ語族(194語)(3100万人)が分布しています。そのうちスーダン南部からウガンダ、ケニア北部には長身の牛牧畜民の間でルオ語(400万人)、マサイ語(54万人)などナイル諸語(53語)(1900万人)が話されています。ルアンダ、ウルンディでバントゥー人を支配したトゥティ人も元はこの系統と思われます。古代エジプトを一時支配し中世紀にはキリスト教王国を建てていたスーダン北部のヌビア人もこれに近縁です。その西側、スーダン西南部からザイール東北部には中央スーダン諸語(64語)(390万人)が分布しています。また、チャド湖周辺にカネム・ボルヌ帝国を建てたサハラ語派のカヌリ人(500万人)、マリ東部にソンガイ帝国を建てたソンガイ人(200万人)もこの語族に属しています。
ブラック・アフリカ
それ以南の広大な地域にはニジェール・コンゴ語族(1436語)(3億人)が広がっています。まずセネガル周辺にウォロフ語(300万人)などセネガル(西大西洋)語派(65語)(2700万人)が分布しています。その最有力のフラニ語(1900万人)はギニアのフタジャロン高原から遥か東のカメルーンまで広がり、フルベ人はかってフラニ帝国を築きました。ギニアを中心としてマリンケ語、バンバラ語、ジュラ語(計900万人)などのマンデ語派(58語)(1400万人)があります。かってガーナ帝国、マリ帝国を築いたのはこの語派に属する人々です。次いでブルキナファソとその南のガーナ北部にはモシ(モレ)語(600万人)などの ボルタ(グル)語派(100語)(1500万人)があります。コートジボワールからナイジェリアにかけてギニア海岸にはクワ語派(6700万人)が分布しています。西クワ諸語(119語)にはクル語、アカン(ファンティ)語(700万人)などがあり、東クワ諸語(61語)にはヨルバ語(2000万人)、イボ (イグボ) 語(1700万人)などナイジェリア南部の諸言語が含まれます。その東のナイジェリア東部から中央アフリカ、ザイール東北部にかけてアダマワ・ウバンギ語派(157語)(730万人)があり、サンゴ語(400万人)やザンデ語(270万人)が有力です。もう一つのグループはバントゥー諸語を含むベヌエ・コンゴ語派(646語)です。そのうち非バントゥー語ではナイジェリア東部のエフィク語(600万人)、ティヴ語(240万人)が有力です。コルドファン語派(31語)(57万人)はスーダン西部のコルドファン高原に分布する小さなグループです。
ギニア海岸の海岸線をアフリカの角まで東に延長した線の南側はバントゥー(489語)(1.6億人)の世界です。その特徴は、名詞を十前後のクラスに分けた名詞クラスで、クラスごとに決まった接頭辞をもち、形容詞や動詞にもその接頭辞を付けるので、頭韻を踏んだ単語がずらりと並びます。西欧語の性の拡張版と見なせます。また、高低アクセントを持つ声調言語であり、語頭に鼻音が多用されますが、これらの特徴はニジェール・コルドファン語族の他の言語にも多かれ少なかれ見られます。そのうちタンザニア海岸部に起源するスワヒリ語(220万人, 4700万人)が最も有力ですが、これはアラビア語を大量に採り入れ、文法を簡素化したもので、声調もなくなっています。古くからアラビア文字を採用していました。他の主な言語には、ザイールのリンガラ語(700万人)、コンゴ語(710万人)、ルバ語(700万人)、ケニアのキクユ語(500万人)、ルアンダとウルンディのルアンダ語(980万人)、ルンディ語(800万人)、ジンバブエのショナ語(800万人)、南アフリカのズールー語(800万人)、コサ語(800万人)などがあります。バントゥー人は千数百年前にカメルーン当たりから南下してきたと考えられており、それ以前の南部アフリカはコイサン語族(35語)(35万人)、つまりホッテントットとブッシュマンの世界でした。西洋人の南アフリカ入植の影響も受けて今ではナミビア、ボツワナのカラハリ砂漠周辺に追いやられています。タンザニアのハジャ語とサンダウェ語も遠い関係があるものと見なされています。コイサン語族の特徴はクリック音と呼ばれる吸気音を使用することで、接触の深かったバントゥー語のズールー語やコサ語にもそれが採り入れられています。
ヨーロッパ
西シベリアからスカンジナビア半島北部にかけてユーラシア西部の寒帯はウラル語族(34語)(2400万人)の世界です。ウラル語は母音調和などアルタイ諸語と似た特徴を持っています。まず西シベリアからヨーロッパ・ロシアの北極地帯にはサモイェド語派(6語)(3.5万人)のネネツ語などが分布しています。西シベリアでその南にはハンティ・マンシ自治区にウゴル語派(3語)のハンティ語(2.1万人)、マンシ語があります。その一派マジャール人(1400万人)は西に移ってハンガリーを建てました。最後のフィン語派(25語)には、ロシア国内のマリ(チェレミス)語(64万人)、モルドヴァ語(110万人)、ウドムルト語、コミ(ズィリエン)語(72万人)、西に移ったフィンランド(スオミ)語(600万人)、エストニア語(100万人)、ラップ(サーミ)語(5万人)があります。ウラル語は本来SOV型ですが、ハンガリー語、フィンランド語などは周りの印欧語の影響でSVO型に変わりました。
ヨーロッパ東北部、ウラル人の南西側には印欧語族(425語)(22億人)のスラブ語派(18語)(2.9億人)が分布しています。東スラブ語派のロシア語(2.9億人)、ウクライナ語(4600万人)、白ロシア(ベロルシア)語(1000万人)は方言といえるほどよく似ていますが、これはかってキエフ・ロシアの分裂後、タタール、キプチャック汗国の支配下にあった大ロシア、ポーランドの支配下にあったウクライナ、西隣のリトアニアの支配下にあった白ロシアで言葉が分化したためです。いずれもキリル文字、いわゆるロシア文字を使っています。西スラブ語派は、ポーランド語(4400万人)と、チェコ語(1200万人)、スロヴァキア語(500万人)です。後二者はよく似ています。南進してバルカン半島に入った南スラブ語派には、セルビア・クロアチア語(2200万人)とスロベニア語(200万人)があります。セルビア語はキリル文字を使用し、ギリシア正教徒のセルビア人、モンテネグロ(ツルナゴーラ)人とイスラム教徒のボスニア人が話し、クロアチア語はローマ字を使い、カトリック教徒のクロアチア人が話していますが、全く同じ言語です。元々は同じ民族が、異なる外国の支配を受け、異なる宗教を信奉したために分かれたのです。同じ語派のブルガリア語(900万人)とマケドニア語(200万人)はよく似ています。どちらも正教徒で、キリル文字を使っています。スラブ語には、古代教会スラブ(古代ブルガリア)語がありますが、ロシア語が最もその形を保っているようです。南スラブ語は、語形が短くなっています。バルト海東岸のバルト語派(2語)は、スラブ語派に近く、リトアニア語(300万人)とラトビア語(150万人)がこれに属します。リトアニア語は印欧母語のアクセントを残していると言われています。ラトビア語はリトアニア語によく似ていますが、語形がよりすっきりしています。
ギリシア語(1200万人)とアルバニア語(500万人)はそれぞれ単独で印欧語族の一語派を構成しています。ギリシア語は古代ギリシアの後も、十五世紀まで続いた東ローマ帝国の公用語として使われてきました。
ラテン語から分かれたものがロマンス語派(47語)(5.8億人)で、イタリア語(6300万人)、スイスのレト・ロマン諸語(80万人)、イベリア半島のスペイン(カスティリア)語(3.7億人)、カタロニア語(900万人)、ポルトガル語(1.8億人)とガリシア語(400万人)、フランスのラングドック(プロヴァンス)語(400万人)とフランス語(1.2億人)、バルカンのルーマニア語(2600万人)があります。ルーマニア語は周りのバルカン諸語と同様に定冠詞が後置されます。
ピレネーのバスク語(93万人)はかってはアキタニアまで広がっていましたが、近くに関係のある言語がない孤立した言葉です。フランシスコ・ザビエルらが出ています。
ゲルマン語派(37語)(4.2億人)はヨーロッパ西北部に分布し、北ゲルマン語にはスエーデン(900万人)、デンマーク(500万人)、ノルウェイ(400万人)、アイスランド(25万人)の諸語があります。アイスランド語はサガ、エッダなどの文学を千年前から伝え、現代語も古代語から余り変化がないそうです。東ゲルマン語には今は滅びたゴート語が属します。西ゲルマン語には、英語(4.6億人)、ドイツ語(1.2億人)、オランダ語(2100万人)などがあります。英語はノルマン・コンケスト以来のフランス語の影響で、語彙だけでなく、文法も大幅に簡素化しましたが、かってのアングロサクソン語はアイスランド語と同様に変化します。ベルギーのフラマン語はオランダ語と同じで、南アフリカのアフリカーンス語(1000万人)はオランダ語が簡略化したものです。
ケルト人は、かってはイタリア北部からフランス、イベリア半島に広がっていましたが、大陸のケルト人はすべてローマ人などに同化しました。現存のケルト語派(7語)(950万人)には、まずアイルランド語(26万人)とそれがスコットランドに移ったスコットランド・ゲール語(9万人)があります。アイルランドは千数百年前から文字文化の伝統を持ち、ヨーロッパ文化の暗黒時代にキリスト教文化の発信地でした。ブリタニア語の系統を引くものは、ウェールズ語と、イギリスからブルターニュ半島に渡ったブルターニュ語(50万人)です。ウェールズ語にも古くからの文学伝統があります。
アメリカ
アメリカ大陸先住民(3600万人)の言語には数十の語族がありますが、ここでは有力なものだけ扱います。まずベーリング海峡の西側からアラスカ、カナダを経てグリーンランドまで北極海の周りに広がるエスキモー・アリュート語族(11語)(11万人)があります。そのうちアラスカ(3.4万人)中部より以東はほぼ均質な言語イヌイット語が話され、カナダ西北準州(2.6万人)とグリーンランド(4.4万人)では公用語になっています。その南には西側にメキシコ付近までナデネ語族(42語)(22万人)が分布しています。その中心はナヴァホ語(16万人)などのアサパスカ語派(39語)です。東側には五大湖周辺を中心にアルゴンキン語族(31語)(25万人)があり、クリー語(10万人)、オジブワ語(8万人)が主なものです。米国東南部のチョクトー語、クリーク語などのムスコギ諸語(6語)(6万人)もこれと親縁関係があります。米国中北部にはダコタ語などのスー語族(17語)(11万人)があり、東北部のイロクォイ諸語(8語)(6万人)と東南部のチェロキー語(7万人)もそれに近いとされています。イロクォイ諸族は十六~八世紀にイロクォイ連盟を結成していたことで有名です。チェロキー人は独自の文字を作り、欧米文化を積極的に採り入れてアメリカ人との共存を計りましたが、受け入れられず、西部に追放されました。
次に、米国西南部からメキシコ、中米に広がる語族がいくつかあります。ユト・アステカ語族(60語)(150万人)には、アステカ人のナホアトル語(100万人)が含まれます。ペヌーティ語族(22語)(270万人)にはマヤ語(60万人)、キチェ語(25万人)などのマヤ諸語(68語)があります。メキシコにはオト・マンゲ語族(173語)(120万人)があり、オトミ語(25万人)、サポテク語(31万人)、ミステク語(22万人)がその主なものです。
中米から南米に広がる語族としては、かって有力であったチプチャ語族(22語)(74万人)、カリブ語族(29語)(44万人)があります。アンデスではインカ帝国の後裔ケチュア語(47語)(1300万人)はアメリカ先住民最大の言語です。アイマラ語(220万人)もこれに近いとされています。トゥピ語族(70語)は南米東部に広がり、そのうちグワラニ(ワラニー)語(400万人)はボリビアで国民の大部分に話され、事実上の国語になっています。その近縁のトゥピ語はかってブラジルで共通語として使われていました。アメリカ諸語はいろいろなタイプのものがありますが、中南米の言語には膠着語型のものが多いそうです。
オセアニア
オーストロネシア語族オセアニア語派(532語)のうちでは、ポリネシア(38語)(100万人)のハワイ語(16万人)、サモア語(24万人)、タヒチ語(10万人)、トンガ語(10万人)、マオリ語(29万人)が最有力で、メラネシア(474語)(125万人)にはフィージー語(33万人)やニューギニアの公用語の一つポリスモトゥ(ヒリモトゥ)語、ミクロネシア(20語)(19万人)には、キリバス (ギルバート)語(6.8万人)、マーシャル語(3万人)、トラック語(4.5万人)、ポナペ語(2.5万人)などがあります。なおグアム、サイパンのチャモロ語(8.5万人)とベラウ(パラオ)語(1.9万人)はオセアニア系ではなくインドネシア系の言葉です。
パプア島とその周辺には十余りの系統のパプア諸語(816語)(460万人)が話されています。そのうちトランスニューギニア語族(539語)が人口でも過半数を占め、東部のパプア・ニューギニアのエンガ語(22万人)、チンブ語(20万人)、西部のイリアンジャヤのダニ語(32万人)など有力言語がこれに属し、セピク・ラム語族(105語)がそれに続きます。パプア・ニューギニアのもう一つの公用語は、英語を基礎とするトク・ピシン語 < Talk Business(新ニューギニア語)です。十五六世紀にモルッカ諸島でポルトガルと覇を争ったハルマヘラ島付近のテルナテ人(13万人)の言語は西パプア語族(27語)(46万人)に属します。
オーストラリアのアボリジン(16万人)の言葉は二十前後の語族(257語)に分かれますが、そのうちパマ・ニュンガ語族(176語)が最大です。
参照文献
言語学大辞典 第1~5巻世界言語編 三省堂
Ethnologue Language Family Index 語族別言語分類
http://www.ethnologue.com/family_index.asp
Ethnologue Country Index 世界各国別民族データ
http://www.ethnologue.com/country_index.asp
Encyclopaedia Britannica Propaedia (Guide to Britannica) p.271-273, 290-294
Yu.V.Bromlei ed. Narody Mira - IstorikoEtnograficheskii Spravochnik, Sovietskaya Entsiklopediya Moscow
李毅夫 世界各国民族概覧 世界知識出版社 北京
黄長著 各国語言手冊 重慶出版社
世界の言語 世界の文字 大修館
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